金沢・横安江商店街


活を活き商店街とまちづくり(月刊専門店2006・2)

力強いまちづくり行政とのパートナーシップで再興を期す

『金沢・横安江町商店街』 NPO法人まちづくり協会・三橋重昭

■金沢のまちづくりモデル

北陸金沢の歴史は、文明三年(一四七一年)、蓮如上人が金沢城趾の地に、寺院を建立したことに始まり、天正二年(一五八三年)、前田利家が入城してからは、加賀百万石の城下町として繁栄した。

藩政期(約二八○年間)、一四代の藩主は戦いを避け、学術・文化を尊重。明治以降も、大きな災害や戦災もなかったことから、伝統・文化、城下町当時の地割は、現在も継承され、大通りから一歩入れば風情のある街並みが続く。曲がりくねった道路は、都市の近代化には大きな制約となった時もあった。しかし、高度成長期、他の都市が軽視した歴史や伝統を大事にしていたことが、今は、金沢市の魅力となっている。

自分達のまちは自分達でつくる。そのことが端的に現れているのが、一七にも及ぶ金沢市のまちづくりに関連する条例であろう。

「景観条例」、「風致地区条例」、「寺社風景保全条例」、「防災都市整備条例」、「緑のまちづくり条例」、「屋外広告物条例」、「こまちなみ条例」、「歩けるまちづくり推進条例」、「まちなか定住促進条例」などで、金沢市独特のものも多い。この条例によるまちづくりは、「金沢まちづくりモデル」とも言われている。

一七ある条例のうち「金沢市における良好な商業環境の形成によるまちづくりの推進に関する条例」(平成一三年一二月制定)は、金沢市にふさわしい活力あふれる商業環境づくりのための指針を決めている。

指針では、商業機能は、都市にとってきわめて重要な機能であり、まちづくりの根幹に関わってくるものとして、地域ごとの商業環境形成の考え方が示されている。

その内容は、既存の商業集積や地域特性に基づきながら、市域(市街化区域)を、商業環境形成の観点から、七種類のゾーニング(区分け)設定を行い、中心市街地、都心軸沿線及び地域拠点における商業機能の立地誘導を行うとともに、都市全体として、適正な商業機能の配置を目指す方向性を示している。ゾーニングごとに目安となる店舗面積の上限も定めていることが特徴的である。

また、「金沢市における市民参加によるまちづくりの推進に関する条例」(平成一二年三月制定)では住民自らが、自分たちの住む地域の目標とする将来像を描き、まちづくりのルールを考えて「まちづくり計画」を作成、そして、この「まちづくり計画」を実現するために、市長と「まちづくり協定」を結ぶことができるとしている。

このような、行政・市民のパートナーシップにより、その地域にふさわしい、市民主体の活力あるまちづくりを推進し、個性豊かで住みよい金沢の都市環境を形成していくことを目指している。

横安江町商店街は、上記指針の中では、金沢駅〜武蔵〜香林坊・片町地区の都心軸を中心とする「中心市街地活性化ゾーン」に位置付けされている武蔵地区内にある。

武蔵地区には、庶民の台所と言われる近江町市場、風格ある老舗が点在する尾張町、めいてつエムザ(名鉄丸越百貨店)等が集積している。そのなかで、横安江町商店街は、歴史ある伝統的な商店街地区とされ、新規に出店する場合には、目安となる店舗面積の上限は三〇〇〇uとなっている。

横安江町商店街は、総延長は三三〇b、幅員は八b。昭和三四年に、全蓋式アーケードを建設した。また、昭和三八年に、石川県で初の商店街振興組合を組織するなど、金沢市の先進商店街だった。しかし、昭和五〇年代半ばをピークに衰退してきており、最近では、シャッターを下ろしたままの店舗も多く、このままでは、存続もおぼつかないように見えるほどだった。

しかし、今、上記条例にもとづき、金沢市と「まちづくり協定」を締結、行政の強力な支援、パートナーシップのもとに、生まれ変わろうとしている。

■横安江町商店街の歴史

横安江町商店街は、およそ三〇〇年ほど昔、浄土真宗大谷派金沢別院の門前町として、古着屋などが軒を並べて商売をしたのが始まりと言われている。

商店街の路地を一歩入ったところには、天正三年(一五七五年)創業の加賀毛針の老舗「目細八郎兵衛商店」があった。前田利家が、加賀の国を治めるようになる八年前に創業している。一九代目当主の目細紳一さんの話によると、ある時、利家から呼び出された八郎兵衛は、家業の縫い針の出来映えを賞賛され、藩の御用を許された。加賀藩は、武士の足腰の鍛錬に渓流釣りを奨励したという。加賀毛針は、石川県伝統工芸品に指定されている。

今回、いろいろお話をいただいたのは、商店街振興組合・所村眞理事長と専務理事の篠田直隆さん。篠田さんは、古書籍を扱う「近八書房」の店主。このお店の創業も寛政元年(一七八九年)という。

大正初期の記録では、早くも、横安江町商工会を組織し、商店街活動を興し、別院への参拝客でにぎわいを見せていた。昭和初期には、商店街の入口に"別院前新天地"と標記したゲートや、すずらんの花を模した街路灯を建設し、「すずらん通り」とも呼ばれ、戦後は、更なる繁栄の途をたどっている。

昭和三四年には、全蓋式アーケードを建設、雨や雪の心配のない、"横のデパート"としてにぎわいを見せる。

昭和三八年には、横安江町商店街振興組合を設立し、昭和四五年には、商店街の共同駐車場や商店街会館も建設している。

昭和四八年には、百貨店・丸越(現めいてつエムザ)が、武蔵再開発事業により、商店街の南側に位置するスヵイビルに開業した事で、武蔵地区全体の集客力は向上し、商店街は大いに繁栄した。しかし、昭和六〇年代以降は、同じ金沢市の中心商業地である香林坊地区での大型再開発や、郊外型SCの進展、そして、バブル崩壊による平成の大不況の影響等で、横安江町商店街は、一気に、衰退の度を深めてきた。

この低迷で、組合員数も最盛期の半分となり、空き店舗の増加にも拍車がかかるようになった。アーケードも老朽化し、昼間でも暗い商店街には、人通りがまばらになってきたというのが少し前の状況であった。

ただ、その過程で、東別院の門前町という立地に注目して、金沢仏壇や法衣の専門店が進出してきており、その集積が新しい個性を形成してきている。

金沢仏壇は、真宗王国、加賀の地に育まれたもので、高度な蒔絵技術と絢燗たる金箔が相まって、荘厳華麗な美を創り上げているもので、国の伝統工芸品に指定されている。

■新しいまちづくり計画

金沢の中心市街地の二極となっている香林坊地区と武蔵地区、にぎわいの勢いは香林坊地区が勝っているものの、歴史と伝統、文化が集積している中心市街地の衰勢は、金沢市にとっては大きな問題だった。そのため、金沢市では平成一〇年二月に「中心市街地活性化基本計画」を策定している。

基本計画における基本方針は、@歴史・文化・自然を活かした"歩くまち"づくりA伝統と環境と調和した住環境づくりB商店街の特性を活かした、魅力ある商業環境の形成C総合的な交通体系の確立によるアクセスの向上D基盤整備の推進による、にぎわいの創出である。

基本計画と並行して、民間企業、商店街(横安江町商店街振興組合も含む)の出資も受けて、三セクまちづくり会社「金沢商業活性化センター」を設立している。同センターは、基本計画に則って「金沢商業タウンマネージメント構想」を策定。平成一一年三月には、市から、その構想を推進するものとして、TMOの認定を受けている。

「金沢商業タウンマネージメント構想」では、金沢の中心市街地である香林坊地区は、新しい発見と感動が生まれる情報発信地区。武蔵地区は、多彩な個性と歴史が共存する生活文化地区とし、全体として、新しい文化を創造し、にぎわいと回遊性のある中心市街地の形成を目指している。

そのなかで、武蔵地区の横安江町商店街は、「心暖まるふれあいストリートゾーン」として方向付けされている。「金沢商業活性化センター」は、事業推進型のTMOであり、「ティファニー」を香林坊の路面店に誘致したり、中心商業地内の空き地を活用して、ショッピングアベニュー「プレーゴ」を建設し、収益事業とするなどの実績を上げている。その背景には、TMOの職員が、空き地、空き店舗の登記簿謄本を取り寄せ、権利関係を調べ、土地所有者の意向をヒヤリングしながら、テナントミックス事業を推進するというような熱心さがあった。

一方、横安江町商店街でも、懸案となっていたアーケードを、建替えるか、撤去するかの問題を含む商店街の将来像を明確にするために、商店街内に「まちづくり委員会」を組織、アーケードに関しては、商店街活性化プラン策定の初期段階で、商店街としては、撤去する方針が決定していた。しかし、アーケード撤去に関しては、商店街振興組合員以外の街路に接する関係者全体の合意も必要であり、「みんなでつくるまち」の基本方針に基づき、商店街と町会が、一緒になって検討する必要があることから「横安江町商店街まちづくり協議会」が組織され
た。

そして、平成一五年度に、商店街活性化プランを策定した。商店街活性化プランによれば、商店街の将来像を「金澤表参道通り」とし、基本方針として、@歴史を重んじつつ、新たなにぎわいを創出するまちA訪れた人々が、出会い交流できるまちBみんなでつくるまちとした。

「歴史を重んじつつ、新たなにぎわいを創出するまち」では、金沢別院の門前町として繁栄してきた歴史を重んじつつ、新たなにぎわいを創出するため、金沢市の条例に則って、「まちづくり協定」を締結するものとした。

そして「まちづくり協定」に基づいた魅力ある街並み形成に向けた「店舗ファサード修景モデル」の検討や、空き店舗へのテナント誘致、あるいは、商店街自らが飲食店を開設、運営することまで行っている。

同協議会では、商店街のアーケード撤去の方針を受けて、次のような「横安江町商店街地区のまちづくり計画」を策定し、地権者の八割以上の同意を得て、平成一七年三月には、金沢市長と「まちづくり協定」を締結している金沢市長と協定した「横安江町商店街地区のまちづくり計画」は、別表(次ページ)の通り。

■八ード事業実施内容

金沢市と協定した「横安江町商店街地区のまちづくり計画」に従って、実施される事業は、まず「アーケード撤去」、次に「電線地中化を含むモール化」、そして、アーケード撤去に伴い、街路に面する相当数の店舗でファサードの改修が必要となることから、まちづくり協定に基づいた魅力ある「街並み形成へ向けてのファサード整備」であった。

また「まちづくり協定」前に、金沢市が商店街内にある空き店舗を活用し、地元工芸作家のギャラリー「さとやまクラフト横安江」や、金沢市社会福祉協議会の店舗「いきいきギャラリー」を開設するなど、市の商店街活性化に向けた積極姿勢がうかがわれ、それが「まちづくり協定」の締結に結びついたのではないかとも思われる。

上記、全ての事業を行うためには、相当な費用が見込まれるが、長年、衰退傾向にあり、空き店舗も多い状況のなかでは、商店街で負担することは無理に思えた。しかし、電線地中化を含むモール化は、横安江町の街路が市道であることもあり、金沢市が、まちづくり協議会の意向を踏まえて、経済産業省補助事業である「中心市街地歩行環境整備事業」の適用を受けて施工することになり、概算費用は七億円ほどになるが、地元負担はなかった。

また、ファサード修景事業は、「まちづくり協定」によって、金沢市の商業振興施策である「中心市街地ファサード整備事業」による助成を受けることになり、上限は一店舗あたり二〇〇万円であるが、半額補助を受けることができるようになった。

しかし、アーケード撤去費に関しては、補助・支援の対象となる施策はなく、これのみは、全額約二〇〇〇万円が地元負担、その負担割合は、「まちづくり協議会」で合意された基準によって、事前に積みたてが行われ、そこから支弁。平成一七年八月には、アーケード撤去工事を完了した。

アーケードを撤去すると、商店街が一気に広く、明るくなった。南側にはスカイホテル、北側にはお寺(照円寺)の松の木が見え、そして、明治、大正、昭和初期の古い趣きのある店舗全体が現れ、商店街の人々も、びっくりするほど、すばらしい景観の商店街になった。アーケード撤去の後は、街路のモール化とファサード整備事業に着手、現在は工事中であるが、今年三月には、ほぼ完成、街路名は「金澤表参道」と生まれ変わる。

■並行して行われてきた各種ソフト事業

衰退しきったような商店街が、再興するのは至難のことと思えるほど、日本の商店街は、厳しい状況におかれている。

その中で、金沢市のまちづくり行政は、商業機能を重視し、多くの手を打っている。行政の思いが商店街に伝わり、商店街も呼応して、新しいことに挑戦している。

横安江町商店街には、他にはない個性ある店舗が再集積しつつあり、また、モール化や広場の整備により、快適な環境づくりを行っている。

商店街へのアクセス、利便性提供では、先に設置した共同駐車場の他、金沢市が運行するコミュニティバスの商店街内運行、武蔵地区の共通駐車サービス券システム等を備えている。

顧客とのコミュニケーション手段としては、毎月第一日曜日の「もんぜん市」や、別院と連携した「花まつり」等がある。また、平成一四年夏、地元金沢美術工芸大学の真鍋教授から、横安江町商店街と同大学学生のコラボレーションによる、アートな商店街づくりの提案があり、それから三年間にわたる、アートなコラボレーション事業「横安江町商店街アートプロジェクト」が開始された。

第一弾は、「光の回帰廊」と名付けられ、三三〇bのアーケードと各商店を、国道一五七号の香林坊・武蔵問を歩行者天国とする石川の夏まつり(道路まつり)が実施された八月一〇日の夜、ろうそくの明かりだけで飾るというもの。数週間前より、美大の学生の皆さんが集まり、市民の皆さんに、ろうそくを配り、アンケートを回収しながら、横安江町に来街する人の動態を調査し、来街者が、横安江町に要望するものを調査しつつ、当日は、街路を三三〇bの幻想的な、アート空間に変える事に成功している。

第二弾は、「アートな絵看板」制作事業。これは商店街が、以前から企画を練っていたものの、なかなか良いデザインが思いつかず困っていたもの。そこで、これを真鍋教授に、お願いしてみたところ、学生の皆さんがそれぞれの店で、ヒヤリングを行い、各店の要望を活かしながらも、それぞれの感性を生かした、ユニークな看板ができ上がった。これは現在も、各店舗の店頭を、にぎわせている。

第三弾は、平成一五年八月に実施した、「光の回帰廊」、前年夏同様、道路まつり当日に、アーケードを用いての光の演出ということは同じであるが、今回は、アーケード全面を、上から二〇〇基の緑のスポットライトで、ライティングするというもの。

これが、スカイホテルのラウンジなど、高い場所から見下ろすと、美しい一筋の光の帯となり、アーケード内でも照明を落とし、アーケード内を通行する人には、緑色の幻想空間を味わってもらっている。

そして、第四弾は平成一五年冬、従来から商店主が飾り付けるショーウインドーは、どうも、商品を紹介する部分から脱却できずマンネリであるので、ぜひとも、美大生の皆さんの感性で、ウインドーを飾ってみて頂きたいとの商店街側からの要望で実現した、「ショーウインドー・ワークショツプーーアートなウインドーディスプレイ」。これも、それぞれのお店の要望をヒヤリングしつつも、美大生の皆さんに、各々のユニークな発想で、各店のウインドーを彩って頂き、通行する市民の皆様の目を楽しませた。この三年にわたる「アートな商店街活動」も、これからの商店街活動の一つの方向を指し示すものと思われる。

■今後の展望と課題

かつては、金沢一クラスの繁華街だった武蔵地区・横安江町商店街。その繁華街の象徴だったアーケードは約半世紀ぶりに撤去された。アーケードによって暗く寂しい印象もあった商店街だが、雨の日でも客足がそれほど変わらなかった、というメリットもあったという。アーケード撤去で、今まで隠されていたところが出現し、その対応も必要であろうが、風情ある街並みができあがりつつある。

古い商店街イメージはなくなり、多彩な個性と歴史が共存する生活文化街として、今、横安江町商店街は、「金澤表参道」として生まれ変わろうとしている。

まちづくり行政をリードする全国市長会会長でもある山出保金沢市長は、金沢の商業・まちづくりは、市民の暮らしを第一義に考える。決して集客にたけた、深みを求めようとする真摯さがないまちづくり、商店街対策、観光都市化であってはならないという。

■金沢市横安江町商店街振興組合理事長 所村眞

所在地金沢市安江町「五ノ五五連絡先〇七六・二三一・二五五六

会員数四二店

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