静岡市清水区の商業者、街の現状は大変厳しい環境といえます。現在は平成7年には長崎屋・ヤオハンが、平成13年には丸井が地域より撤退。昭和50(1975)年と平成15(2003)年における通行量調査の比較では、休日では28,000人→4,500人となり84%減、平日では16,000人→4,500人で73%減となっています。群馬県前橋市中心部の調査でも85.5%減(1998/1975休日)という数字があるので、全国の商店街の平均的姿がこの数字に表れています。
今までは地域のなかで発生した所得は、地域内で消費されてきました。つまり、地元の商店街での消費が次の生産活動を誘発し、地域経済が循環再生産を繰り返してきました。ところが大手中央流通資本が進出してきて以来、地元資本店舗の閉店が相次ぎ、商店街が衰退し、地域商業が空洞化するといった影響を来たしています。地域の所得が中央へ流出する傾向が強まり、地域経済全体の規模縮小となります。
地域経済の衰退は、地域社会、コミュニティの崩壊にもつながっています。シャッター通りと揶揄されるような寂れたまちには、中心性がなく、人々が交わる機会もなく、誇りも希望もなく、訪れる人もなくなるようなまちに、人材もとどまらず、文化も磨かれず、魅力のないまちになってしまいます。そういった誇りも希望も人々のつながりもなくなってしまいました。
社会的不安は、小中学生の不登校の数にもあらわれ10年で倍増13万9千人、引きこもりは80万人とも聞きます。未来を担う日本の高校生が、未来への希望を失っているのではないでしょうか。84%若者が「日本の未来は明るくない」と答えています。就職しない。適齢期の人は結婚しない。交通事故死者の4倍にあたる3万4千人の自殺者。この数は、世界一だそうです。こうした問題が至る所で起きています。
均一化された風景の街で、さびれるだけの街で、歴史的な町並みが消えていく街で犯罪が発生する。このような状況下で「まち」が存続していく理由が問われております。
21世紀における商店街が果たす役割、まちが持つ機能とは何でしょうか。
まちが持つ役割について、例を2つ挙げたいと思います。
「70歳の母親が郊外の高台の住宅街に住んでいた。週二回買い物の手伝いに車で行った。最初はデパ地下ヘ、次第に弱ってきて買い物カートにつかまって歩くためにショッピングセンターヘ連れて行った。どんどん衰えていった。それで、とうとう街なかのデパート裏のマンションを借りた。そうしたら、魔法じゃないかと思うくらい元気になった。それまで外出も一人ではできない、留守番もできない、みんなが交代で面倒みていた母親が、街なかに来て一人で財布を持ってひょこひょこ歩けるようになった。」という話があります。つまり、お金を使って家族の愛情があってもだめ。家族以外の人との交流がないと人は衰えます。まちでの人とのふれあいは、人(高齢者)を元気にする効果があるはずです。
2点目は、佐久市の主婦の話です。
「車で15分ほどの範囲の7店のスーパーに、日替わりで買い物に出かけます。子供ももう育ち、ほとんど1人でいきます。カゴを手に黙って店内を一回りして、黙ってレジで支払いをして帰ってきます。
私が育った大阪では、母について市場によく行きました。肉屋、魚屋、乾物屋、卵だけの店、小間物屋など、みんな専門店です。
店の主人やおかみさんとの間に、政治談義や健康、まちの話題などがテンポよく交わされます。そうした活気が子供心にも楽しかったものです。(中略)
値段が安いからとか、ラベルの表示だけを頼りのスーパーでの買い物は、便利とは思っても楽しいと感じたことはありません。」
この方の人生は豊かでしょうか。商店街は何をすればいいのでしょうか?
商業者に求められているものとは、次のように考えます。
1点目は、「地域のつながり」です。商店街が大型店と違うのは、我々は地域に根ざし、地域共に生き、地域から逃れられなく、地域と密着し、地域によって生かされているということです。このことをもっと強く認識すべきではないかと考えます。私たち商店街が、地域の農家、水産業者、工業者と連携していくことが必要だと思います。
2点目は、「ソフトサービス産業化」です。我々小売業者は「物品販売業」という観念から「サービス産業」であるという意識を強く持ち、サービスというソフトを物品に乗せた価格で販売し、顧客満足を得るという高度なサービス業であることを目指すべきであると思います。これは、物品を大量に展示し、人手をかけず低コストで流通させるという流通業とは、まったく異質の産業であります。各個店が、自分の店のソフトを洗練させ、向上させ、発見し、評価しソフトサービス産業化する努力が、商店(街)の生き残りだと考えます。
確かに日本は、戦後経済的発展を遂げてまいりましたが、一方で人と人との繋がり、そのもととなる地域社会の崩壊を招き、孤独化を深めたのではないでしょうか。近所づきあい、向こう三軒両隣など「人との豊かな関わりあい」がこれからの新しい豊かさ、価値観ではないかと考えます。人の繋がりの再構築、地域コミュニティの再生を通じて自分たちの地域を住みやすいものに作りかえていく、それがまちづくりであり、その現場こそ“商店街”“まちなか”ではないだろうかと考えます。私ども駅前銀座商店街では、「豊かな人とのつながりで楽しく時が過ごせる街」をコンセプトとして掲げました。
また私ども商店街としては、大型店とまちづくり、郊外型巨大複合商業施設進出計画を避けて通れない問題として受け止めております。
静岡市大谷地区にて、開発制限がある市街化調整区域と農業振興地域に敷地面積228,000m3、売り場面積70,000m3の郊外巨大複合商業施設進出の計画があるとうかがっています。静岡市は「複合開発型新市街地」と位置づけ区画整理を導入し、基盤整備をするといっています。つまり税金を投入し、地域の生みだした富を地域外へ出す中央流通資本のショッピングセンターを迎える計画のようです。それは郊外に際限なく続くスプロール開発、つまり土地を浪費していく開発で、緑豊かな水田地帯・自然を破壊し、車でしか移動できない社会に拍車をかけ、それによりコミュニティを分断し、中心市街地衰退に拍車をかけ、持続可能な社会を脅かすものであります。小売業の競争は人口が増えるか、所得が増えない限りゼロサム・ゲームであります。中央資本の県下最大級のショッピングセンターができれば、地元資本の商業が衰退するのは明らかです。人口減少、少子高齢化時代に向かう時、コンパクトなまちづくりが求められている時にそれと正反対のスプロール開発が行われようとすることは、時代に逆行し、社会の笑いモノになる政令指定都市となってしまうのではないだろうかと心配しております。
持続可能とは、循環してそれぞれが役割を果たすことで成り立ちます。地元商業、地域レベルで商売をしている小売業商店、そして全国規模での流通業、あるいは大規模店、中規模店、小規模店がバランス良く混在し地域のコミュニティとアイデンティティを維持することが市民に豊かさを感じさせることではないだろうかと考えます。
以上の点をご理解頂き、まちづくり三法改正など商業活性化に向けた施策立案を是非ともお願いします。
|